矢板「ばんどう太郎」の唐揚げは美味!

ばんどう太郎。ご存知でしょうか?

http://www.bandotaro.co.jp/

茨城県、埼玉県、群馬県を中心に、60店舗を展開する外食チェーンだそうです。

和食ファミレスといったところですが、唐揚げが美味しすぎ。私の中でベストを誇る、千葉県館山の「なかぱん」のチキンバスケットといい勝負です!

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この、片栗粉しっかり、家庭味な感じ。。。たまりません。

ケンタッキーのフライドチキンのような、衣に味がついているタイプより、肉に味がついているタイプが好きなのです。

 

他には、味噌煮込みうどんを食べました。

カクキューの八丁味噌を使っています。

6月に行った名古屋以来です。

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名古屋らしさを前面に出してしまうと、北関東のファミリーをびっくりさせてしまうだろう配慮からか、本場のよりマイルドな味になっています。

私としてはもう少し名古屋押しでよかったかなと思います。

あああ、作りたくなってきた。

 

こげ知らず!適当チーズフォンデュ鍋

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この写真は野菜がだいぶ煮えてしまっていますが・・・

クックパッドを見ながら自分なりにアレンジしてみました。

チーズフォンデュの面倒なコゲ洗いのことを考えずに済みます。

 

作り方

①材料

お湯は適当です。

そして、そこに適当にブイヨンを入れました。

【野菜】

じゃがいも2こ

ブロッコリー2こ

かぶ2こ

ウィンナーソーセージ適当

鶏モモ1枚

人参1本

プチトマト1パック

【チーズディップ】

とろけるチーズ200gくらい

白ワイン50mlくらい

片栗粉大さじ1くらい

 

②作り方

・鍋に水を入れ、耐熱皿を真ん中に入れる。

・耐熱皿にチーズディップの材料を入れ、ぐるぐる。

・溶けたら周りに野菜をいれ、さらに水を入れる。

・野菜が煮えたらどんどん食べましょう。

 

那須ガーデンアウトレットに行ってきました

那須ガーデンアウトレットにいってまいりました。

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出発の矢板駅。

前回はクリスマスツリーがありました。

こういう小さい駅ならではの心温まるおもてなしですね。

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すがすがしい青空です。

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到着!10:30頃でしたが、人もまばら。

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ヨーロッパなどにありそうな雰囲気です。

 

ひととおり周り、DesigualとWacolでお買い物しました。

昼は久しぶりの銀だこ。でしたがもたれました・・・・

 

 

那須ガーデンアウトレット

http://www.nasu-gardenoutlet.com/page/

 

 

 

思い通りにならないと騒ぐ人

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愛着障害とトラウマの重篤な子供達の支援をしています。

DSMでは、「反応性愛着障害」という障害名です。

 

愛着障害は、幼児期における身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトを受けたことに起因する通常の人間関係を築きにくい状態のことを言います。

身体的虐待を受ければ、落ち着きのないADHD様の状態や、乖離(かいり)になる、友達ににも簡単に暴力を振るう様になります。

心理的虐待(産むんじゃなかった、お前は何をやってもダメだ等・・・モラルハラスメントに近いことを子供にします。)を受ければ、極度に自信のない子、自分より弱い子を探し、親からされているような付き合い方をしてなんとか立っていることができる状態になります。

性的虐待は、親の性行為を見せられる等の接触のない虐待、体を性的に触る、性器を触る、接触させる、挿入する等、接触のある虐待の2つに大分されます。これは見えにくい虐待ではありますが、ADHD様、乖離、また友達と関わる時に性的な接触をしてしまうことがあります(性器を見せる、触らせる等)。親がその行為で自分を愛してくれていると思っているので、同じ様なことをしてしまいます。

ネグレクトは最近よく聞きますが、育児放棄のことです。劣悪な環境の中世話をしない等です。子供は人の関心を引くことをやめたり、自閉症の様な様子をみせるようになると言われています。

 

教育現場では徐々に「愛着障害」という言葉が広まっており、中でも自閉症・情緒障害児教育の分野では現在一番大きな研究課題として取り上げられています。はじめについていた障害名は「ADHD」だったり、アスペルガー症候群、高機能自閉症、広汎性発達障害(これらは現在自閉症スペクトラムという総称)ですが、3歳までの過程での、特に母親との愛着状況を知るに従い、愛着では?という目で見る様になります。発達障害の児童は指導に時間がかかりますが、愛着障害のある児童は変化が比較的(比較的、です)見られるのでよくわかります。

 

私個人的には、愛着障害という表現より、愛着形成の上で何らかの障害があった、という表現の方がしっくりくるんですね。(杉山登志郎先生)

彼らは、愛着に課題があったため、大多数の人の心の動きがわからず、表面的なできごとに反応するしかないのです。全ては、自分を守るために身につけてしまった防衛術なのです。

昨日は、Aが「暑い」と言った言葉を、自分への攻撃の言葉と聞き間違えたBが、Aに殴りかかり、物を投げる等し、落ち着くまで1時間以上かかりました。

Bはなぜ聞き間違いをしたのでしょうか?ここがです。

Bは、常に言葉の暴力を受けて育ってきたからです。「人はこういう風に言ってくるものだ」と学んでいます。

相手が親だから黙ってやられていましたが、それが友達なら・・・日頃の嫌な思いが一気に爆発し反撃し、やり込めてしまいます。それはものすごく激しいものです。

わざわざ形式的な、指導している側の大人を満足させる様な、その場でのごめんねごっこ(ごめんね、いいよ、というやりとり)はさせません。お互いが落ち着くまで待ちます。子供達は、自分たちで様子を見ながら、距離を縮めていきます。

 

さて、早期に支援を受けなかった子は、大人になっても不安定な人間関係をつくります。パワーゲームを持ち込み、いつもだれか敵を作り戦っている人、性的な近付き方をするも、それ以外の部分で自分に自信もなく不安定なのですぐに別れることを繰り返す人、些細なことで傷つき、相手を「殺してやりたい」くらいに激昂してしまう人・・・

 

いつまでもしつこく攻撃してくる人、まわりにいませんか?大人なので、頭がよくなり、もしかしたら間接的に攻撃してくる人がいるかもしれません。「俺のバックには味方がたくさんいるんだ、だからお前は勝てない、どうだ、わかったか?」と。モラルハラスメントに近いですね。ただ、その人の人間関係を見てみると、希薄な関係しか作れないので、味方?ネット上にしかいませんよね、と冷静な人はわかるわけです。

また別の目から見ると、攻撃はヘルプのサインでもあります。でも、自分が助けを求めていると気づけていないので、同じ人間関係を築きます。親との関係を繰り返しているだけです。

 

自分から変わりたいと助けを求めてこない限り、大人の場合は改善が難しい。そんな人が身近にいたらどうしますか?

 

私なら、距離を置きます。それが、愛だからです。

彼らの期待する反応(相手の怒りを引き出すことが彼らの関わりスキルだったりするのです)をしてしまうと、誤学習を強化することにつながります。

愛着障害のある子とつきあっている時間、彼らが何をしてこようが、無反応です。それが一番効果的です。大人も、実はそうかもしれませんね。

・・・なので、むかつく姑を変えたかったら、無反応がいいかもしれませんね笑 彼女たちは、相手をして欲しいだけですから。

 

 

 

 

 

5年気になっていたATAOの財布を買う

くー!

ずっと気になっていたATAOの財布をついに買いました!
財布は、記憶のある頃から、
ピンク→ピンク→ピンク→白→黒→青→ピンク
と、ピンクばかり!(白、黒、青の時代が気になります(笑))
なので、黄色は初挑戦なのであります。
ネットでばかり見ていて買えなかったATAOですが、なんと何度も通っている道にありました!

 

小田急本店に。。。。いやぁ知らなかった。確かにそこに革製品あったね!みたいな…

 

神戸でしか買えないと思い込んでいだのは、ネットばかり見ているからかしら…(^_^;)
今回は、パイソンを選んでみました。
私はおっちょこちょいなので、よく水をかけたりしてしまいますが、大事に育てたいと思います(*^_^*)

 

イルミネーションも綺麗でしたよ!


ATAO新宿店

納得がいかないことがあると膝を怪我する

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出典www.kenkou.info

 

 

納得がいかないことがあると膝を怪我する。

 

ですって???

 

 

潜在意識のお話です。

体の怪我も、病気も、自分の潜在意識のメッセージであるという考え方があります。私はかなり思い当たる節があるので、体調が悪い時は辞典を引いて自分のありかたを見直すことがあります。

 

 

膝は、体の中でも衝撃を吸収したり、方向転換の要となったりするための重要な部位です。

 

そこを怪我をする・・・

 

そんな出来事が先週ありました。

 

おかげさまで、レイキやホメオパシーのレメディで治癒力アップし、ほとんど普通に見えるように歩いています。

 

 

大学生の頃に、一度前十字靭帯を切り、再建手術をしています。

 

その頃は、自分の進路に疑問をもっていました。

 

「行きたくないのに行っている(当時の感覚としては、行かされている)」という状態でした。

 

膝を怪我した私は、「これで大学を休める」と、怪我した瞬間思ったのでした。

 

 

今回、怪我をした理由について、思い当たったので書き記してみます。

 

やり方、考え方の違いで、納得がいかないことが当日の朝に起こりました。

今思えばかなりショックを受けていたと思います。

個人情報がからむので、内容には触れられませんが、朝その出来事を知らされた時に、動揺していました。

 

「納得がいかない(自分のやり方を曲げて合わせることができない)」

 

そういう思いが、膝の怪我として、現れたのだと理解しました。

 

現在その状況が変わったかといえば、目に見えている部分では自分の思いと遠い方向に行っているように見えます。そこで、悲観的になるだけでなにもしない、それでは怪我をした意味がない、そんなメッセージも体から聞こえてくる気がします。

 

怪我の翌日に痛みがない?!ホメオパシーに救われる

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出典http://cbchomeopathy.com/

 

ホメオパシーという言葉を聞いたことがありますか?

私は膝の怪我をした日に、レイキの遠隔を受けました。さらに、遠くからAさんが病院まで駆けつけてくださり、学んでいる最中のホメオパシーのレメディをくださいました。本当にありがたかったです。

 

私はその場で飲みました。レメディ初体験!

 

レメディとは

ホメオパシーでは、「超微量の法則」に基づき、植物や鉱物などを高度に希釈した液体を小さな砂糖の玉にしみこませます。

この砂糖の玉をレメディーと呼びます。

相談者はこの小さな砂糖の玉を舌下に入れ、溶けるのを待ちます。
レメディーは原物質のない程薄められていますので、赤ちゃんや妊婦さんでも安心して使うことができます。
ホメオパシーでは、レメディーがバイタルフォース(自然治癒力)に作用していると考えられています。
ですからレメディーがその人の抱える不自然なパターンと適合している場合は共鳴し、自然治癒力が揺り動かされ、体が良い方向へと向かいますが、適合していない場合には、共鳴し、自然治癒力が揺り動かされる作用はありません。

このようにレメディーとは、相談者の自然治癒力を揺り動かし、自ら健康になろうとする力を引き出すためのものです。 ホメオパシーでは、自分以外に自分を癒せる者(治療者)はいないという考えが根本にあります。

日本ホメオパシー医学協会http://jphma.org/About_homoe/remedy.htmlより

 

私もレイキをやっていますので、この「自分以外に自分を癒せるものはいない、という考え方には深く賛同しますね。

 

レメディは砂糖玉でできていますが、初めて口にしました。味は砂糖そのもの。それでも、すごく暖かい感じがしました。さらに、膝がふわっと暖かくなってくる感覚がありました。

※私は体感があるほうなので、レイキの遠隔を受けていてもすぐに気付きます。もしかしたら、同時にレイキの遠隔をやっていただいていたのかもしれません。

 

そして翌日・・・

病院で処方された痛み止めも飲まず、湿布もせず(二つとも今回に限り意味がないということがわかっているので)、普通に歩けている自分に気付き、とても驚いたのでした。

見ないふりはもうできない!

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思い込み癖に気付いた人は、
その自分の思い込みを受け入れることに
抵抗がある場合があります。
「私がこんな風に思っていたなんて」
確かに、それはショックなことかもしれませんね。
自分は価値のない人間だ、と根底で思い込んでいる人は、
毎日そのような言動を繰り返しているのに、
ズバリ根底をさらされてしまうと、すごくショックです。
なぜなら、「そうだ」と思っているから。
自分で思っていないことを言われても、
なんとも思わないものです。
「この緑色の火星人め!」と言われても、
ショックにはならないでしょ?(悪意は感じるとは思いますが)
「そうだ」と思っていることを、まず認め、
受け入れないと先に進めないのです。
見ないふりをしていても、あるものは、ある。
ブロック解除は簡単なので自分でこまめにできますが、
以上のような理由から「見ないふりをする」癖もあるはず。
たまには他人にやってもらう方が、ずばっと言ってもらえて
結局大きい思い込み癖が簡単に取れてしまうものなのです。

助けない勇気=手を差し伸べず、自分でできるサポートを

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子供が転んだ時のことが一番分かりやすいでしょう。

子供が転んで、立ち上がり、歩き出すまでに、
子供たちは目に見えなくても自立の階段を上っているのです。

数年前のこと、私は6年生の担任でした。
全校の時間走で当時2年生だった子が目の前で転び、
私はほとんど「反応」という形でその子を立たせようとしたその瞬間です。
2年生の担任の先生が「○○くん、自分で立ちなさい」と遠くから
声をかけたのです。

私はとても恥ずかしくなりました。
私の担任している6年生の子が転んだなら、私も同じように立つまで
見守ったはずです。私は、勝手にその子に立つ力がないと判断していたのです。

誰かを助けてあげると、「いいことをした」と気持ちが良くなります。
でも本当は本人にとっていいことではない場合だってあるのです。

困っている人を目の前に、手を差し伸べないのはとても勇気がいります。
胸が痛むのです。でも、先を見ましょう。
「今」手を貸すことが、その人の「先」にとって プラスなのか、マイナスなのか。
一瞬でも立ち止まって考える習慣をつけたいものです。

病気の人が早く治って欲しい、と思うのは、「自分がその姿を見ているのが辛いから」
「なにもできない自分に焦るから」と最近気づきました。
あなたも実は、そういう思いで相手に尽くしていないでしょうか。

病気が癒えるのはその人の治癒能力にかかっています。医療ではないのです。
こちらは治ってほしいと思っていても、その人にとってはその病気でいる事が
まだ必要な段階の場合もあるのです。

その段階にどれだけとどまっているのかは本人が決める事です。
周囲が焦って良くしよう、良くしようとするほど
病気から離れられなくなってしまうことだってあり得ると思います。

助けない勇気、見守る勇気。
それが、実は相手への本当の思いやりかも知れません。