子供が転んだ時のことが一番分かりやすいでしょう。
子供が転んで、立ち上がり、歩き出すまでに、
子供たちは目に見えなくても自立の階段を上っているのです。
数年前のこと、私は6年生の担任でした。
全校の時間走で当時2年生だった子が目の前で転び、
私はほとんど「反応」という形でその子を立たせようとしたその瞬間です。
2年生の担任の先生が「○○くん、自分で立ちなさい」と遠くから
声をかけたのです。
私はとても恥ずかしくなりました。
私の担任している6年生の子が転んだなら、私も同じように立つまで
見守ったはずです。私は、勝手にその子に立つ力がないと判断していたのです。
誰かを助けてあげると、「いいことをした」と気持ちが良くなります。
でも本当は本人にとっていいことではない場合だってあるのです。
困っている人を目の前に、手を差し伸べないのはとても勇気がいります。
胸が痛むのです。でも、先を見ましょう。
「今」手を貸すことが、その人の「先」にとって プラスなのか、マイナスなのか。
一瞬でも立ち止まって考える習慣をつけたいものです。
病気の人が早く治って欲しい、と思うのは、「自分がその姿を見ているのが辛いから」
「なにもできない自分に焦るから」と最近気づきました。
あなたも実は、そういう思いで相手に尽くしていないでしょうか。
病気が癒えるのはその人の治癒能力にかかっています。医療ではないのです。
こちらは治ってほしいと思っていても、その人にとってはその病気でいる事が
まだ必要な段階の場合もあるのです。
その段階にどれだけとどまっているのかは本人が決める事です。
周囲が焦って良くしよう、良くしようとするほど
病気から離れられなくなってしまうことだってあり得ると思います。
助けない勇気、見守る勇気。
それが、実は相手への本当の思いやりかも知れません。