お久しぶりです。6月は、レイキの講習会だったり、潜在意識についてのセミナーだったり、個人セッションだったり、撮影だったりと充実して(しすぎて過労ぽくなった!注意!!)いました。
皆様のおかげで、やりたいことに囲まれる毎日です。
特に、ブロック解除で変化した!というご報告を立てつづけにいただき、本当に嬉しいです。
さて、先日元教え子Aに会いました。3、4月になると必ず不安定になり連絡をよこしてきます。
(当時私は日比谷公園の噴水前で騒ぐこんなやつでした。。。ひどいですね。あれ?変わってない?)
今回は、友達を連れてきたい、ということだったのですが・・・私と二人で会っている時とは違い、どうも構えている様子です。
背景ですが、Aは小学生の時、発達障害と診断され、学校ではかなり支援の必要な子でした。私が関わったのは5年間でしたが、当時のAを知る者としては、よく努力して自分をコントロールし中学校生活を終え、高校に進学したな、という感動にも近い気持ちをもっていました。
高校1年生になったAと話していると、友達の前では小学校時代の話に触れてほしくないようでした。その友達も小学校時代を知っている子なのですが、「自分は高校生になったら変わる」と宣言していたようなのです。
その会話の中でひしひしと伝わってきたのは、Aは過去の自分をなかったことにしたい、ということです。
どういうことか、想像がつきますか?
御察しの通り、Aは過去の自分を受け入れることがまだ困難な状況ということです。過去の自分を受け入れられない=過去はありのままの自分を周囲に受け入れられていなかったんだという思いがある、ということです。原因ははっきりしています。
私は、Aを改善しようともしていなかったし、人間関係で失敗しがちはあるけれども、小さな体で自分の意見をしっかりもって過ごしているAのことを尊敬すらしていました。ただただ一緒に遊び楽しい時を共有する「先生」でした。
でも、普段の生活では周囲の目は「Aは乱暴者」だったし、排除の対象であったのです。Aはそれも自覚していたので、どうにかこうにか頑張って、自分のことをコントロールし、周囲に認めてもらおうと必死でした。
今のAを見ると、当時もっと「そのままでいい」という存在が必要でした。未だに、変わらないと仲間だと認めてもらえない、という気持ちで生きています。困難さは障害なので一生ついてまわるのです。理解されづらいゆえに、周囲に合わせないといけない発達障害の辛さです。(身体障害の人は、周囲がうごいてくれますものね)
過去をすべて受け入れ、「この自分で生きて行く」と受け入れられて初めて、Aは穏やかに生きていける気がします。時期の問題と、Aをとりまく周囲の環境と、様々な要因がありますが、そんな日が早く来てほしいな、と思います。
ただ、せんせーはいいたい。友達作って一緒に登下校していて、安心したよ!